【小澤征爾の家系図】息子は小澤征悦で、甥が小沢健二!華麗なる小澤一族!

「世界のオザワ」と言われ、名誉団員として世界で有名な小澤征爾(おざわせいじ)さんが死去されました。

小澤さん一族については家系図がすごいと言われてきました。

その理由は、多方面で活躍する著名人が多く、家系全体に高い文化レベルと社会的地位が見て取れるからです。

今回は、小沢一族の家系図の中でも有名な小澤征爾さん、小澤征悦さん、小沢健二さんについてや、小澤征爾さんの親兄弟について調べてみました。

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目次

【小澤家の家系図】小澤征爾の家系がすごいというネットの声

10年以上も前から、たびたび小澤一族がすごいという噂が話題に出ていたようです。

小澤俊夫さんは、ドイツ文学者、昔話研究者で数多くの著書があります。

グリム童話などを翻訳研究し、外国と日本のむかし話の研究者(現在筑波大学名誉教授・小澤むかし話研究所所長)となりました。さらに筑波大学名誉教授でもあります。

すごい人ですね!

ファミリーヒストリーにも取り上げれたようです。

かなり見ごたえがあったと反響の声が届いていました。

小澤征爾さんの甥っ子さんでシンガーソングライターの小沢健二さんって東大出身だったようですね。

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【小澤家の家系図】小澤征爾の親族はエリート

まず、ざっくりと家系図を見てみますと、小澤征爾の父親が歯科医です。

それを筆頭に、小澤征爾さんを含む4人の息子さんがすべて、芸術や文学の道で活躍されていることに、まず驚きをかくせません。

息子さんは、俳優の小澤征悦さん。

甥はシンガーソングライターの小沢健二さん。

パッと見ても芸能界で見る顔ぶれが3人も家系図にいるだけですごいですよね。

それでは、まず、小澤征爾さんをはじめ、芸能界で活躍している小澤征悦(おざわゆきよし)さん、小澤健二さんについてみてみましょう!

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小澤征爾のプロフィール

  • 名前:小澤征爾(おざわせいじ)
  • 生年月日:1935年09月01日(88歳)
  • 出身:満州国奉天市(現・中国瀋陽市)
  • 職業:指揮者

小澤征爾の幼少期~青春時代

小澤征爾さんは、中国にいる頃、毎週日曜には母に連れられ、兄たちとおさないころから讃美歌をうたっていました。

それが、小澤征爾さんの音楽との出会いです。

15歳・1948(昭和 23)年 4 月、私立成城学園中学校に入学、片道2時間以上をかけて通学し、現役バリバリのピアニストからピアノを師事し、ピアニストを目指していました。

その師匠というのが豊増昇(とよます のぼる)さんです。

豊増昇(とよます のぼる)さん

せっかく良い先生に出会ったのは良いものの、小澤征爾さんはラグビー部で追った指の骨折に全治2年もかかるということで苦渋の選択でピアノを断念。

若い頃の小澤征爾

「先生。ピアニストはダメでも、作曲家はどうでしょう?」

「作曲もいいが、指揮をやってみたらどうかね」

このあと、回復した征爾さんは、ふたたび豊増のもとで、ピアノを学びました。

征爾は、豊増昇師匠から、とくにバッハを教えられ、対位法や暗譜でひくことな
どを、たたきこまれました。

のちに指揮者となった征爾は、歌劇(オペラ)や現代の複雑な作品も、よく暗譜で指揮しました。

それはこのときの勉強が大いに役に立ったというのです。

若い頃の小澤征爾

「おれ、指揮者になる!」

その後、小澤征爾さんの母方の親戚にチェロの指揮者である斎藤秀雄さんに弟子入りすることになったのです。

斎藤秀雄さん

小澤征爾、指揮のスパルタ指導をうける

斎藤秀雄さんの指導は、それはきびしいものでした。

指揮科の生徒として、生徒オーケストラの譜面台やいすの手配、そして各パート譜の印刷にいたるまで、いっさいの雑用を征爾がおこないました。

さらに短気でかんしゃく持ちの斎藤は、よく指揮棒で征爾の頭や腕をたたいたり、スコア(総譜)を投げつけたりしました。

投げつけられて、ページがばらばらになったスコアを、セロハンテープではりつけるのも征爾の仕事でした。

自宅でのレッスンは学校以上にきびしいものだったそうです。

神経質で時間にきびしかった斎藤は、1 分でもおくれると、部屋にはいれてくれません。

楽天家の征爾も、落ち込むことがあったそうです。

家に帰るなり、靴もぬがないで、そのままゴロンとふてくされて、寝ころんだこともあったり、よほど斎藤英雄さんに、きつくしかられたのでしょう。

なかば絶望的になった征爾は、半べそをかいて家にもどると、ひと言も口をきかないで、いきなり本箱のガラスをこぶしでなぐりつけました。

ガラスは、こなごなに割れてしまいました。血だらけになった右手のこぶしには、ガラスの破片がいっぱいささっていました。

「どうしたの?」


その場にいあわせた弟の幹雄は、びっくり仰天。

その日、征爾は、じっとだまったままだったそうです。

そんなにつらいのなら、指揮の勉強なんかやめちゃえばいいのに!


そのとき、幹雄は思いました。

でも征爾は、へこたりませんでした。

のちに征爾は幹雄に、

若い頃の小澤征爾

「おれは中学生のときにラグビーをやったおかげで、指揮のきびしい勉強もやりとげられた。ラグビーで『ガッツ』(根性)が身についたよ」


と、言いました。

ピアニストへの道を断念させたラグビーでしたが、征爾にとっては、彼の強い精神力を育てるのに、大いに役に立ったということを、語っていたそうです。

小澤征爾の受賞歴がすごい

小澤征爾さんは、Wikipediaによると35歳から80歳代まで数多くの賞を受賞されています。

  • 35歳・1960年 クーセヴィツキー賞(若手指揮者の登竜門)
  • 37歳・1972年 日本芸術院賞(日本の芸術文化の発展に貢献した人に贈られる賞)
  • 40歳・1975年 モービル音楽賞
  • 50歳・1985年 朝日賞(朝日新聞社が主催する賞で、各分野で活躍している人に贈られる)
  • 52歳・1987年 国際文化デザイン大賞
  • 61歳・1996年 松本市名誉市民
  • 63歳・1998年 仏レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
  • 65歳・2000年 米国ハーバード大学名誉博士号
  • 66歳・2001年 文化功労者
  • 67歳・2002年 オーストリア科学芸術一等名誉十字章
  • 68歳・2003年 毎日芸術賞、サントリー音楽賞
  • 69歳・2004年 仏ソルボンヌ大学名誉博士号
  • 71歳・2006年 NHK放送文化賞
  • 73歳・2008年 日本国文化勲章(日本の勲章制度における最高位の勲章の一つ)、仏レジオンドヌール勲章オフィシエ、仏芸術アカデミー外国人会員、イタリア・プレミオ・ガリレオ2000財団金百合賞
  • 76歳・2011年 高松宮殿下記念世界文化賞、渡邉暁雄音楽基金特別賞
  • 77歳・2012年 小林秀雄賞
  • 79歳・2014年 モンブラン国際文化賞
  • 80歳・2015年 ケネディ・センター名誉賞(アメリカ合衆国の舞台芸術に貢献した人に贈られる賞)、
           長野県県民栄誉賞
  • 81歳・2016年 グラミー賞(世界で最も権威のある音楽賞の一つ)、東京都名誉都民、成城大学名誉博士、第11回GQ Men of the Year
  • 87歳・2022年 日本芸術院会員

これらの受賞歴は、小澤征爾さんが世界的な指揮者として活躍してきたことを証明するものです。

なかなか、現役でここまで活躍された方も珍しいのではないでしょうか。

それでは、小澤征爾さんの家系図で有名どころと言えば息子さんと甥っ子のオザケンこと小沢健二さんについて調べてみました。

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小澤征爾の息子は小澤征悦(おざわゆきよし)

  • 名前:小澤征悦(おざわゆきよし)
  • 生年月日: 1974年6月6日 (49歳)
  • 出身地: アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
  • 身長: 183 cm
  • 血液型: O型
  • 所属事務所: TOM company
  • 配偶者: 桑子真帆 (NHKアナウンサー、2021年結婚)

小澤征悦(おざわゆきよし)の主演ドラマ

  • うみのほたる(2005年、水野光二 役)
  • プレミアムよるドラマ POWER GAME〜パワーゲーム〜(2013年) 城崎信也 役
  • TEAM -警視庁特別犯罪捜査本部-(2014年)佐久晋吾 役
  • 特別ドラマ Dr.ナースエイド(2014年)森健 役
  • 春の特選サスペンス 事故調(2015年)黒木浩一 役
  • パパがも一度恋をした(2020年)山下吾郎 役
  • ノンレムの窓 2023 夏 第1話「夕暮れ時の葛藤」(2023年)野本久 役

主演はこれだけですが、他の役も含めるとかなりの本数のドラマや映画に出演されています。

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小澤征爾の甥は小澤健二

小澤征爾の甥で、フリッパーズ・ギターのメンバーとして活躍した小沢健二さんです。

  • 名前:小澤健二(おざわけんじ・オザケン)
  • 生年月日: 1968年4月14日 (55歳)
  • 出身地: 神奈川県相模原市
  • 身長: 175 cm
  • 血液型: B型
  • 学歴:東大文学部
  • 所属事務所: ドアノックミュージック
  • 配偶者: エリザベス・コール

噂どおり東大出身でしたね。

小澤健二さん自身が東大を卒業したと公表したものはみつけられませんでした。

しかし、Wikipediaからの情報や、「小沢健二が母校の東京大学で講義、他大学の学生も受講可」という形の講義が2023年9月に開催されたことからも、東大出身であることは確かなようです。

音楽演奏のある「アトラクションのような講義」だったそうでう。

なかなかユニークですね。

フリッパーズ・ギターは1989年から1992年まで活躍していたインディーポップです。

2024年2月の現時点から32年~35年も前に流行っていたので、知っているとすれば、現在50代くらいの世代の方が多いのではないでしょうか。

ちなみに、アラフィフの管理人が若い頃の世代で、オザケンこと小沢健二さんは有名でした!

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小澤征爾の父は小澤開作

以下、「頸城野郷土資料室学術研究部研究紀要」に小澤一家の歴史が載っていたので簡略化してお話していきます。

Wikipedia


23 歳のとき満州へわたった開作さんは、長春(現在の新京)で歯科医院を開きました。
開作さんは医療のかたわら、政治運動に関心があったことから、民間人ながら、満州国の建国に奔走したそうです。

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小澤征爾の前妻は江戸 京子

小澤征爾さんは、一度離婚しています。

最初の妻は、三井不動産社長の娘でピアニストの江戸京子さん。

二人は留学先のパリで出会い、小澤誠二さんが27歳の時に結婚するも、育った環境の違いなどから小澤征爾さんが31歳の頃、離婚しています。

しかし義父・江戸英雄は亡くなるまで征爾さんを可愛がり、京子さんも離婚した後に友人となって征爾さんと交流があったようです。

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小澤征爾の後妻は入江美樹(小澤ヴェラ

1968年、小澤征爾さんが33歳の頃、入江美樹さんと再婚されます。

入江美樹さんは、小澤征爾さんより9歳年下です。

そして、入江美樹さんは父親がロシア人、母親が日本人で料理研究家です。

若い頃は、多くの雑誌で表紙を飾り女優としても華々しく活躍していました。

二人はパーティーで知り合い、征爾さんがベラさんのロシア人の父親と親しくなり、それが縁でご結婚。

結婚後はファッションデザイナーとして活動し、レディスブランド「ザ・ギンザ・バイ・ミズ・ヴェラ」などを手がけています。

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小澤征爾の兄弟とのエピソード

小澤征爾は長兄・克己さんがキッカケでピアノを始めた

小澤征爾さんは10歳の時に家族で日本へ引き揚げ、東京都立川市に転居されました。

その頃、一番上のお兄さんで、音楽が好きだった小澤克己さんからアコーディオンの手ほどきを受けていたそうです。

さらに近所の中学のピアノを借りて練習する克己さんについていき、一緒にピアノを弾いていたそうです。

そして、小澤征爾さんの才能を認めたお兄さん二人(克己さんと次兄の俊夫)がピアノを買って欲しいと、父親の開作さんにお願いをしたということです。

当時は日本敗戦から1年後という状況下、現在のようにピアノを持っている家庭は少なく、どの家でも、その日の食べ物に追われていた、大変な時代でピアノどころではありません。

小澤家も男子が4人で貧乏だったそうです。

「ピアノを買う金などないよ」

「じゃあ、『ライカ』を売ったらいいじゃないか」

「ライカ」とは、開作が北京にいたころから愛用していた、ドイツ製の高級カメラです。
それを売りなさい――というのです。

「子どもたちのためだ。仕方がない」

こうして、父・開作の高級カメラを打ったお金で、開作の弟・静(医師)の妻・英
子の横浜の実家に、使っていないピアノを売ってもらったのです。

そして、当時ピアノ運送業者などなく、トラックを持っている知り合いもいなかったので克己(18 歳)と俊夫(16 歳)のふたりの兄が、リヤカーでピアノを運ぶことになりました。

途中、父親の開作さんも加わって3人で無事に、自宅までピアノを運びきったということです。

兄弟愛・家族愛を感じますね。

その距離は横浜市神奈川区の白楽から、国鉄南武線ぞいの立川駅まで、距離にしてざっと 30 キロほどを3日かけて運んだのでした。

実際現在の地理的な距離をグーグルマップで見てみましょう。

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